思いつきの、走り書き

アメリカの田舎から特にアメリカらしくないことを中心に。

どこか似ている2

さて、どこまで書いたか。

 

そう、限界に近づいて好きだった子のどこが好きだったのかわからなくなってしまった。

 

まずここまでたどり着いた人には、ひとつ賛辞を贈りたい。

 

ほんとの恋愛でストーカーまがいになってしまったケースは別として、ここまでなるというこはそこまで本気になったということ。どんな結末であれ、ここまでくれば

"誰より愛しく 誰より憎い こんな気持ちは知らなかった"

くらいのことは経験できているはずで、それはその後の人生の大きな糧となっていくと信じている。個人的なことを言わせてもらうと、自分自身は遊びで恋愛が出来るタイプではないので、いつも本気でたいてい瀕死のダメージを負う。サイヤ人のごとく復活する。

 

そして、これを研究(その他何でもいいかもしれない)に置き換えてみる。

 

研究ってやつはとてつもなく奥が深い。我々が専門とするライフサイエンスは、なんせ生命誕生から40億年かけて構築されてきたものを探っていく訳だから複雑なことこの上ない。それに加え、語りきれないほど色々な要素が絡んでくるので、研究ってものを語るには相当のめり込まなければならない。限界を迎える状態になった人は研究についてなんとなくぼんやりとその輪郭がつかめた状態といっても過言ではないと、個人的には思う。そこで研究をやめようと決意しても、それはきっと正しい判断なのだと思うし、当たり前だが、続けることが優れていることではない。

 

だから僕は賛辞を贈りたい。

 

恋愛と似ていると書いたものの、ひとつ決定的に違うことがある。

 

それは、結果は絶対に出さなければならない。そして、真実はいつもひとつ!!ということである。

感情論が入ったことに関しては、基本的に答えなんてないのかもしれない。もっと正しく言うと、最適な答えなんてどこにもない。だって価値観の違う人同士の問題だから。妥協点はあってもどちらにとっても最善なんてことはあり得ない。

ただ、研究は基本的には遠い昔に構築されたものごとを理解しようとしているので(自然科学の基礎に限る)、どう解釈するかは研究者にかかっているが、基本的に答えはひとつしかない。だから正しい方向性で進んでいないと、どんなに努力したって結果は出ない。

最初は嫌われていたって、ずっと一緒にいたらなんだか愛情がわいてきちゃった的なラッキーパンチは絶対に、ない。

 

と、こんなところで今日は終わりにしよう。なんか昨日の自分が書こうとしていたこととはちょっと変わってしまったような。。。

ま、いっか。

ではでは。