ゆとりのある生活
さて、ここアメリカは明日が"Memorial Day"(戦没将兵記念日)ということで3連休。
ようやく友達と呼べる人もできて、今日は芝生の上でランチして、フリスビーなんか投げてみたり。ああ、なんともアメリカっぽい休日。僕はおにぎり+ちょっとしたおかずを作っていった。
週末休むということなんて過去5年間基本的にはなかった。それが僕のいた分野での研究者たち(ボス)が好むスタイルだったから。
まあそれは別にいい。自分も未熟だったし、英語がダメな分情報収集でさえ時間がかかってしまう。それにあの経験は確実に今の自分の中にいきているから。
何はともあれ、今はゆとりがある。
それで今更自分が気づいたこと。
- 自分はほんとに仕事しかしてこなかった。
休みをあんなに切望していたのにいざもらうと何をしていいかわからなかった。
- 誰かとの出会いや会話はとても楽しい。
研究室にこもっていた僕には正直言って、大学院生活で新しい友達なんて片手で足りるほどしかできなかったし、彼らと十分に遊ぶこともなかった。 でも誰かと一緒に何かを共有して交換して、そういったことは自分にとってとても楽しいことだということを最近実感した。
- 家事をこなすことができる。
一時期は料理人になろうか本気で悩んだほどの自分が、コンビニ弁当を頻繁に食べるようになり、部屋はとっちらかり、ちゃんとした掃除なんてする気がほとんど起きなかった。でも、こうしてちゃんと時間があれば、なんのことはない。ちゃんと家事も出来るんだ自分。ということを発見した(笑)
- 仕事に対してのモチベーションが維持できる。
研究にどっぷりつかり過ぎた自分は、正直ちょっと嫌いになっていたところがあった。でも今はやっぱり好きなんだと思える。休日に仕事にちょろっと行くのも自分がやりたいからだし、家でもふと何か思いつくとそれを好んで調べたりしている。 - 週末の朝のコーヒーが異常にうまい。
なぜか。それはおそらくここで見つけたお気に入りの珈琲屋の豆のせいだけではない。これまではコーヒーを飲み終わるということは、ラボに行く支度を始めるということだったら。サザエさん症候群というやつに近いのかもしれない(笑)でも今は違う。だからコーヒーの時間をほんとに楽しむことができる。
さて、 要は何を自分が感じたかというと、時には自分を限界まで、限界を超えるまで追い込むことも必要だと思う。それはその人の目指すところにも、それに対する能力にもそして生き方にもよる。でもある程度その世界で生きていけるだけの力を得たと思えるなら、徐々にゆとりを入れていってもいいのだと思う。
なんというか、好景気状態を作り出すことができる気がする。みんなが買うから儲かって、儲かるから使って、、、の繰り返しに近い。十分なゆとりがあるから仕事に対してもがんばれて、変なミスも減って、効率も上がってきて。と行った感じ。
ただまあ自分の場合はここで確固たる結果を出してからこのことを改めて強調できるので、そうなれるよう頑張らなければ。