思いつきの、走り書き

アメリカの田舎から特にアメリカらしくないことを中心に。

読書の夜

"「悲しみって名前をつけたところで、そんなものは所詮、形のないものの名前です。人の胸の中には名前でくくれないものが色々あって、だからその表れ方にも色々あって、泣き叫びたいならそうすればいいですし、そうできないのなら無理にそうすることもないです」"

 

WILL 本多孝好

 

 

久しぶりに日本語の小説を読んでいる。こっちに来るときに何冊か持ってきたもののひとつ。英語漬けになるべきなのは理解しつつも、やはりちゃんと自分に響いてくる言葉に触れたくなる時がある。

 

日本語でさえ、それぞれの言葉の定義は人によって微妙に違っていて、その些細な差が致命的な誤解になることもあると思う。まあその致命傷を避けられるか否かでその人たちの縁みたいなものが線引きされるのかもしれないけれど。

 

単純な単語表現の裏側にある心情を察してくれようとする人が周りにいるなら、それはかなり幸せなことだと思う。特に日本人はそれが得意なのだと思う。だから海外の人と比べて発言する頻度が少ないのかもしれない。

 

正直に言って、それは海外で仕事をする上ではかなり損な性質のだけれど、日常生活、特に親しい関係では個人的には言わなきゃ分からないよっていうのよりは、ベースラインでは分かり合える方がいいなと思う。

 

とはいえ、ある程度正確に自分を表現できないとそんな関係を築くことさえ難しい。あとどのくらいすれば英語で自分をちゃんと表現できるようになるのか、誰かをちゃんと理解できるようになるのかと考えると本当に気が遠くなる。。。まあ日々努力。それ以外に道はない。

 

でも、今夜もちょっと小説を読みます。

そんな夜もあります。