思いつきの、走り書き

アメリカの田舎から特にアメリカらしくないことを中心に。

いつでも微笑みを

狭い路地に 黒いスーツの人達

急な不幸がその家にあったという

命は果てるもの 分かってはいるけど

 

何もかもが思い通りになったとしても

すぐ次の不満を探してしまうだろう

決して満たされない 誰かが傷ついても

 

いつでも微笑みを

そんな歌が昔あったような

今こそ その歌を

僕たちは歌うべきじゃないかなぁ

 

いつでも微笑みを Mr.Children

 

 

これもDrawingに並び、でもちょっと違うベクトルでかなり好きなミスチルソングです。

 

海外生活2カ国目。シンガポールとアメリカ。いる期間も短いし、行動範囲も限られているから自分の身の回りの範囲でのみの話になるけれど、「笑顔をつくる」ことが増えた。もちろん愛想笑いだという意味ではありません。

 

ほんとの意味での笑いや笑顔はもちろん日本の親しい人たちとの間の方がずっと多いけど、知らない人とかわす笑顔は圧倒的に日本にいるときより多い。

 

スーパーのレジ。清掃員の人。エレベーターで、道ですれ違う人。

もちろん100%ではないけれど、こういった人達とも笑顔は交わすことは少なくない。

 

日本で同じような生活をしていたとして、全く知らない人と笑顔を交わすことなんて基本的には皆無だと思う。特に一人暮らしの男というのは警戒されがちだし(苦笑)

 

日本人が冷たいとか暗いとかそんな風には思いません。しかし、その優しさや明るさを覆ってしまう雰囲気が漂っているのは確かだと思います。まだ人生語れるほど生きてはいないけれど、それでも時代や人が変わったと感じることもある。だからもっと年配の人からすればほんとに時代は変わったのでしょう。

 

「昔はよかった」

 

こんなセリフを言うつもりもないし、あまり好きでもありません。

過去の美しい思い出に、汚い部分もすべて見える現在がかなう訳もありません。そのときそれぞれ良い部分があり、嫌な部分がある。それだけのこと。

 

僕が海外で経験してきた「笑顔」は形式化された社交辞令なのかも、しれません。例えそうだとしても、それでも笑みを交わすっていいコミュニケーションだと思う。そして日本にそのまま輸入はできなくても、いつか少しずつでももう少し笑顔が増えていけばいいなぁと思う。

 

 

いつでも微笑みを

そんな歌が昔あったような

悲劇の真ん中じゃ その歌は

意味をなくしてしまうかなぁ

 

もし僕がこの世から巣立って逝っても

君の中で僕は生き続けるだろう

そう思えば何とか やっていけそうだよ

 

そう だからいつも いつでも微笑みを いつでも微笑みを

いつでも微笑みを