思いつきの、走り書き

アメリカの田舎から特にアメリカらしくないことを中心に。

サマータイム終わる

こちらでは、サマータイムがあります。

 

ご存知の通り、本来の時間より1時間早くするというものです。僕が渡米してきた時期には既にサマータイムになっており、今日それが終わりました。

 

かくいう僕は人から言われるまでそれに気づかなかったのですが(笑)

というのも、最近のデジタル機器は賢くて、パソコンもケータイもiPodも自動的に補正を行っていたみたいなんですよね。

だからまあ今日ラボに行って、アナログの時計を見たら1時間の遅れが。わかっていながらもちょっと驚きました。

 

時間というのは、なんとなく絶対的な存在と思いがちですが、それも結局は人間が定義したもの。

 

仮に世界全体が「今日が大晦日でーす。」と決めたら、そうなる。ちょっと不思議なものです。

 

以前、何かのテレビで先進国にある文明が全然行き渡っていないアフリカのとある村の話を見ました。

そこでは水を汲むためだけに、往復2時間の距離を歩くのだそうです。

現地に行ったアナウンサーか誰かが、その役を担っている少女に

「水を汲むのにどのくらいかかるの?」

と一見普通の質問をしたところ、彼女は答えることが出来なかったそう。

 

なぜか。。

 

その村には時間という僕らには当たり前の基準がなかったからです。

 

おそらく、彼女の中には自分なりの基準はあるのでしょう。しかし、それを具体的な言葉として表現する術を持っていたなかったのです。

 

これは僕にとってかなり衝撃的事実でした。

 

このような類の別の話としては、先進国から先に書いたような途上地域に行ったときに持って行ってみんなが喜ぶもの。

それはデジカメだそうです。

 

その理由は、自分の顔を見ることができるから。

 

その場所には鏡というものがないってことです。きれいな水に反射させればなんとか見えなくもないのでしょうが、そんなきれいな水が当たり前に手に入るわけでもないし、くっきりと見えるわけでもない。

 

自分たちにとって当たり前は、誰かにとっての当たり前ではない。

 

解っているようで、多くの人はそれはやはり自国の、先進国の常識に縛られている 。

もちろん、これは個人レベルでも言えることで、もし、隣の誰かと自分は全く違うとみんながもう少し思えることができれば、もう少しだけ世の中全体が優しくなれるような。

 

インターネットで誹謗中傷が当たり前に行われる今だから、余計に思ったりもします。

 

僕ももちろんまだまだ知らない世界、価値観があるわけなので、それに実利的な意味がなくとも、出来るだけそういうことを知っていきたいなーと思います。