思いつきの、走り書き

アメリカの田舎から特にアメリカらしくないことを中心に。

ゆるいつながり

今ブログをやっている理由は、意味があろうとなかろうと自分の書きたいことを書くためというのがほとんどの理由。

 

でも大学院にいた頃は、それが半分、もう半分はどこかで誰かとつながりを持ちたかったという気持ちがあったように今は思う。

 

交友関係を赤裸々に挙げれば、入学後数ヶ月で仕事ばかりで彼女には愛想をつかされ、その後も掛け値なしに友達と呼べる相手は大学院生活5年を通し片手で足りる人数(苦笑)年中ほぼ無休の生活をしていれば、そりゃ個人的なつながりも始まるわけはない;

 

それに最も迷っていた時期でもあった。外にいては決して見えることのない研究という世界の実態が見えてきて、それは自分の思い描いていた物とは大きく違い、それが解っていながら全力以上で走り続けなければいけない。

 

だから、ブログという存在はとても大きかった。

いくつか定期的に読んでいたブログがあって、たまにコメントしてみたりもした。そこでの何てことないやり取りは、他の人には多分理解されない程に自分を助けてくれた。

 

久しぶりに覗いたそのブログのひとつが終了にも近い、一区切り的な記事を載せていた。

 

"忘れるはずがないと信じていたことを、忘れていることにさえ気がつかないくらい静かに忘れてしまう。それはきっといいことなんだと思う"

どこにでも猫がいる(遠くの声に耳を澄ませて) 宮下奈都

 

当時は、自分がノーベル賞でも取ったら自分が助けられたブログのことを言及しよう(笑)なんて思っていたのに、そんな思いをすっかり忘れていた。忘れられるほどに今が幸せな状態にあるとも言えるし、単にそれが人間というものなのかもしれない。

 

でも、今その頃を思い出した。

だから僕がもしノーベル賞を取ったその時は、あの頃自分を支えてくれた(まあ向こうはそんな大それたこととは思ってないと思うけど)ブログの存在を言及しようと思う(笑)

 

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まわるまわるよ 時代はまわる

別れと出会いをくり返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれかわって歩き出すよ

 

時代 中島みゆき