思いつきの、走り書き

アメリカの田舎から特にアメリカらしくないことを中心に。

多様性の中で

こんにちは。

なぜか日本の一部の友人間で、国際結婚したらしいという噂が流れていて確認のメールが届きましたtuguです。

 

それはさておき。

 

今朝、職場に行くと見知らぬ顔が。
どうやらうちの研究室にブラジルから2ヶ月間だけ技術を学びに来た研究者らしい。

ふと思えば、アメリカ、インド、オーストラリア、コロンビア、中国、日本そして今回のブラジルとかなりの多国籍な顔ぶれとなっている。これまで接してきたのも入れたら15カ国くらいの人たちと関わってきたことになって、やっぱ英語圏ってすごいなーって改めて。

 

それだけ色々な人と関わってもまだその国への印象というものがどこかで自分の頭の中に定着してしまっているなーと思う。もちろん国全体へのイメージとしてはそんなに間違ってはいないんだけど、それとは全く違う性格の人に接すると意外だなーと思っている自分がいる。

 

 

今は去年末から1年間だけ来ているインド人研究者を教えながら一緒に仕事をしたりしてますが、彼はものすごく慎重で丁寧(器用ではないけど)。そして算数はそんなにできない(笑)

この前、中古車を買った中国人は少々高めに言うのが普通の個人売買で自分から車体に少し傷があるから値下げしてもいいと言ってきてくれたし。性格も控えめでもはや中国人とも結婚出来るんじゃない?って可能性を示唆させられたレベル。

 

個人差がある。

そんなの当たり前で日本人だって本当に色んな人がいるのをよく知っているはずなのにどこかで、出身の国からレッテルを貼って区別しまっているのかもしれない。

「みんなラベルを貼りたがる。ラベルを貼った方が楽だから。」

昔、友達が言っていたのをよく覚えている。

 

もちろんここはアメリカでそこに集まってくる人だからこその意外性であり、多様性なのだと思うけど。

まあやっぱり人は直接接してみないとわからないものですね。っていう極めて単純なことなんですが。そういうレッテルを極力なくして色んな人と出会ったその先に、僕の国際結婚の可能性が出てくるのかもしれない(笑)

 

10年先も 20年先も 君と生きれたらいいな
悲しみを連れ 遠回りもしたんだけど
探してたものは こんなシンプルなもんだったんだ

Simple Mr.Children