僕が僕であるために
"自分のあり方を自分で決めることができる"
アメリカ生活について話していたときに、こっちで友達になった日本人が言っていたこと。
日本に一時帰国して、家族や友達にも会えてすごく楽しかったし、食事もほんとにおいしかった。特に恵比寿で見つけた干物専門飲み屋では自分が探していたものはこれだ!と思ったし、なか卯のごまざるうどんとミニ牛丼セットのコスパの高さには感動すら覚えました。
でも、そこに帰りたいなとはまだ思えなかった。
取り巻いている閉塞感、優しさを差し出すのも受け取るのも躊躇・警戒してしまう雰囲気。そしてあの歌の歌詞を借りれば、前へ倣えの右へ倣えの優等生モード。
自分の生き方さえも何かに流されてしまいそうな。それがなんだかよくもわからないのに。
もちろん、ものは言いようで捉え方によっては違う解釈もできるし、日本がダメとかそういうわけではもちろんないのだけれど。
自分と異なるものへの理解というよりは許容、いや無関心か(笑)?まあそういうものに関してはここはすごいと思う。
来たばかりのときに、ラボの中国人と話していて彼のアメリカの印象について、
"It's your life, I don't care."
そんな風に言っていたのをとてもよく覚えています。
もちろん、しんどいこともたくさんある。
でもそれ以上にここでは自分を保つことができる。周りを見渡せば、自分よりも遥かに自分を出している人達ばかりで(笑)
それがたぶん自分がまだ此処に居たい大きな理由のひとつ。
学生のときによく聞いていたこの歌はまだ当てはまるような気がするけれど、当てはめているものは結構変わった。
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
僕が僕であるために 尾崎豊