SushiとYakitoriをつまみながら
"神は我等を救い賜うのでしょうか それとも科学がそれに代わるのでしょうか
永遠でありたいと思うのは野暮でしょうか 全能でありたいと願うのはエゴでしょうか
時の流れは速く もう三十なのだけれど あぁ僕に何が残せると言うのだろう
変わっていったモノと いまだ変わらぬモノが
あぁ 良くも悪くもいっぱいあるけれど"
1999年、夏、沖縄 Mr.Children
と、写真と全然関係なさそうな写真です(笑)
日本人がほぼいないこの街では、よりインターナショナルな付き合いが多いです。この日も中国人とイタリア人と一緒に日本食レストランへ。
そこでのもっぱらの話題は、お互いの文化の違いとその変化について。
今や最も経済的に伸びていっているといっても過言ではない中国。その変化によって確実に失われていく"伝統的"な町並みと文化。
日本でも伝統的と言われる文化は発達した都市の日常の中にはほとんど残っていないと言える。
イタリアでも中国でも日本でもアメリカでも、発達を遂げた都市に行けば基本的に同じような景色が見える。
果たしてこれがいいことなのか、悪いことなのか。
まあ結論から言うと、正解なんてないんだろう。
ちょっとずるいんだけれど。
先進国の人間は、失われていく文化のや生き物の"重要性"に気づきそれを保護しようとする動きを見せているし、それを願っている人も多い。もちろんこれは理解できる。
じゃあ自分が、日本の伝統工芸や農業、漁業などを一生の仕事としてやりたいかと聞かれれば、やはり答えは"NO"だし、僕の仕事の最終目的はある病原体、言い換えればいち生命の種を地球上から消滅させること。。。
都市へ若者の流出によって田舎はどんどん廃れていくと聞く。では、自分の成長を、可能性を夢見て田舎から大都市へ行く若者たちを非難することができるだろうか。
未だに狩猟を続ける部族たちから便利な生活を遠ざける権利があるだろうか。
そして、アフリカで未だ続く女性器切除や魔女狩りとも言われる裁判が残すべき文化と呼べるだろうか。
きっとこれらは悪い風習と呼ばれるんだろう。
文化の保存といえば何か高尚なもののように聞こえるけれど、つまりはそれぞれの生活そのもの。その全てがいいものとは限らないし、個人レベルで考えればやはりよりよい生活を願うのが人間の性だと思う。
だからやっぱり変化を止めることはできないし、続けなければいけない。
過去をないがしろにしていいわけではない。
でも、恐竜はとうの昔に絶滅し、動物は知恵を道具を使うようになっている。幕末の動乱は終わり、天皇は政治的な実権をもう持っていない。
変わるべくして、変わってきたんだと思う。きっと途中で間違いもたくさんあったし、今もあるんだと思うけど。
やっぱり大事なのは現在、そしてそう遠くない未来に生きる人なんじゃないかと思う。人は結局、人を中心にしか考えることはできないのだから。
"いろんな街を歩き いろんな人に出会う これからだってそれはそうなんだけど
そして今想うことは たった一つ想うことは
あぁ いつかまたこの街で歌いたい
あぁ きっとまたあの街でも歌いたい
あぁ そして君にこの歌を聞かせたい"
ちなみに写真の日本食は、ここらでは相当評判高いけれど、日本のコンビに以下でした(苦笑)